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最高裁判所第三小法廷 昭和35年(オ)1208号 判決

上告人 武石政右エ門

被上告人 小林ノブ子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人菅野虎雄の上告理由第一点について。

子の父に対する認知請求権は、その身分法上の権利たる性質およびこれを認めた民法の法意に照らし、放棄することができないものと解するのが相当であるから、原判決の引用する一審判決の所論判断は是認することができる。論旨は右と異る見解に立脚するものであつて採用できない。

同第二点 について。

認知請求権はその性質上長年月行使しないからといつて行使できなくなるものではない。論旨もまた独自の見解にすぎず、引用判例は本件に適切でない。

同第三点 について。

原判決およびその引用する一審判決の事実摘示ならびに記録に徴するも、上告人は原審において所論主張をしたものとは認められないし、当審にいたつて新たに主張することはできない。論旨はもとより採用できない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一 裁判官 五鬼上堅磐)

(上告代理人菅野虎雄の上告理由)

第一点 原判決は認知請求権の放棄は之を認めずとする点に違法ありと信じます。

原判決に於て引用する第一審の判決には「なお被告が前示(二)において主張する点はいずれも本件の如き身分法上の権利関係については採用するに由ないものと判断する」と判示し其前示(二)なるものは「(二)仮りに原告主張の事実が認定されるとしても原告は昭和十六年当時被告より養育料として金五千円相当の株券を受領しこれによつて被告に対する認知請求権を放棄している」と云う被告の主張としての挙示であります。

而して原判決がかくの如き判断を為すは昭和六年十一月十三日の同趣旨の大審院判例あるがためであります。

然れども民法第一条には権利の行使は信義誠実に出づることを要する規定を加えました。

民法親族相続編に大改正をいたされました。

其後社会の変遷に伴い同判例も是正せらるべき時機到来せりと信じます。

民法施行前は父の搜索を許さざる制度なりしことは明治六年布告第二十一号に「妻ニ非サル婦女ニシテ分娩スル児子ハ一切私生ヲ以テ論シ其婦女ノ引受タルヘキ事」但男子ヨリ己レノ子ト見留メ候上ハ婦女住所ノ戸長ニ請テ免許ヲ得候者ハ其子其男子ヲ父トスルヲ可得事」とありて

明治三十六年二月十日の大審院判決(明治三十五年(オ)第五百九十二号)にも

「民法施行前に於ける私生児の親子関係に付き適用すべき法則に依れば私生児は其出生に関係ある男子より認知せられ其子と為ることあるべしと雖も男子をして親子関係ありとの事実を認知せしむる権利を有せず。

民法施行前に出生したる私生児と其出生に関係ある男子との関係に付ては民法施行法中新法を適用せしむる法意を認むべき規定なきを以て依然旧法に従ひ之を定むべき法意なりとす。」

とあり。

家族制度を廃止せられたる今日子の父に対する強制認知の考方も変更せらるべきが当然であります、認知請求権が身分権なるが故に如何なる場合もこれが放棄を許さずと云うが如きは肯定せらるべきではありませぬ。

相当考慮の上双方の立場上均衡を得べき贈与を行い子の成長を保持し母子を安全の域に置き一方其恩義に報ゆるため認知請求権の放棄を為すは人道上咎むべきではありませぬ。

それは十数年経過後其恩義を顧みず更に認知請求権を行うは並に所謂信義誠実を忘れたる権利の濫用と云うて吝ならざるものであります。本件に於て上告人は億を以て算する資産家なるが故に認知に藉口して敢て之を為すは民法第一条の精神たる法の社会性にも導わざる逸脱行為でありかかる大審院の判例あるがため下級裁判所はこれに迷うおそれあるを以て最高裁判所に於て変更あるべきものと信じます。

第二点 原判決は権利の自壊による失効の原則を適用せざる違法ありと信じます。

原判決に於て引用する第一審の判決には「なお被告が前示(二)において主張する点はいずれも本件の如き身分法上の権利関係については採用するに由ないものと判断する」と判示し其前示(二)なるものは云々「又右の抛棄がなかつたとしてもその後長年月原告は右認知請求権を行使しないままに放置したから同権利は既に自壊により失効を来たしたものであつて原告の本訴請求は失当である」と述べて被告の主張としての挙示であります。

然れども認知の訴は形成の訴であると解すべきものであるとは最高裁の判例(昭和二九年四月三〇日)とせらるる処でありますから認知の訴は形成権の行使なりと云うべく形成権は財産権でもなく身分権でもなく無色の権利であります。

解除権に以上の失効の原則を適用し得ることはこれ亦最高裁の判例(昭和三十年十一月二十二日)の存する処であります。

又民法第一条は親族、相続編に完全に名実共に総則として適用あるべきことは学者の説く処であります。

本件に於て被上告人は昭和七年三月十一日生れ(甲第一号証)でありそれが昭和三十三年二月三日正に二十五年後の今日養育の必要もなく自活十分なるに相続財産を目的とし然かも自己の発意とも思われず他の者の勧誘に乗り弟小林正夫、兄小林直美と歩調を一にし之を行使するは判例に所謂これを行使することが信義誠実に反すると認められるような特段の事由あり上告人は二十五年間何等の音沙汰なく既に忘れ居る今日思出した様(乙第四号証)に為すは此失効の原則の適用を受け許されざるものと信じます。

第三点 原判決は消滅時効を適用すべきを適用せざる違法ありと信じます。

原判決に於て引用する第一審の判決には「なお被告が前示(二)において主張する点はいずれも本件の如き身分法上の権利関係については採用するに由ないものと判断する」と判示し其前示(二)なるものは上告人が第一審に於て昭和三十三年八月七日答弁補充書として提出陳述せる答弁事項を摘録せられあるものであります。

而して上告理由第二点に開陳せるが如く認知の訴を形成の訴なりと解し認知請求権を形成権なりと解すべきものとせば形成権の時効は十年なりと解せられて居ますから(大正一〇年三月一日大審院第三民事部判決判決録二七巻九号四九三頁)被上告人出生後本件訴訟は二十五年余経過後提起せられ居るため消滅時効完成して居ますので時効を援用します。

即ち相続法の改正により家督相続やみ財産相続のみとなり親族法の改正により判例に於ても認知の訴を形成の訴と解せらるるに至りたる今日之を身分権なるが故に消滅時効に罹らずと黙殺すべきではないと考えられます。

民法第一六七条第二項にも債権と所有権が十年の消滅時効に罹らざることを規定し形成権がかからざることを規定して居ませぬので同法に牴触しませぬ。

而して第一、第二審に於ても時効を援用して居ます、同答弁補充書第(三)に「身分権は時効に罹らざるを原則とします」云々とし身分権にて消滅時効に罹る場合を記載し

時の経過により権利変動の発生することは是認せねば不都合の結果を生ずることあるを記載し

鉱業法にも時の経過により鉱業権が消滅することあるを記載し

本件の認知請求権が権利の自壊による失効の原則により失効せることを記載し

次に参考判例として認知の訴が消滅時効の適用ある判例を挙示し

殊に此失効の原則により失効せりとの抗弁は時効の抗弁と同一性質を有し只身分権なるが故に時効の抗弁適切ならずとせば此原則により失効せりと云うのでありまして第一審以来時効を援用して参りて居ます。

以上の三点により原判決は破棄せらるべきものと信じます。

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